「よろぼし 」配信

『よろぼし〜手湯と草〜』
作・出演:なかええみ

俊徳丸鏡塚
俊徳丸鏡塚

舞台写真

50分間、目を隠して演じる。

 身体表現パフォーマーなかええみは、身体能力に長けている。そのパフォーマンスの高さから老若男女を問わず演じ、また人役に限らず、気配や想念までを舞い踊る。

 今回の「よろぼし」では、冒頭から目を隠し足の感覚と空間感覚、そして聴覚を頼りに演じきる。

初演の時に「なかええみのパフォーマンスは狂気だ!」と称されたが、そこに留まることをせずに、さらに磨きをかけ、よろぼしに向かう。

<企画・大和絵奈より『よろぼし』上演へ向けて>

「よろぼし」の背景

 このたびの「よろぼし」は大阪府八尾市高安地区の伝説で、かつて高安地区の西側には河内湖とよばれる大きな湖があり、次第に湖には土砂が堆積して陸地となるものの、低湿地であり、かつ河川の氾濫が頻繁に起きたため、長らく居住には向かない土地でした。

そのため一部を除き生駒山地の麓の少し高い位置に複数の集落が形成され 古墳時代には在郷豪族によって大小さまざまな墳墓が作られ、「心合寺山古墳」のような大きなものや千塚地区周辺に小さなものが多数存在し、現在では「高安古墳群」とよばれています。

原作「俊徳丸伝説」

 飛鳥時代ごろは、このあたりは物部氏の勢力範囲で、権勢を争った蘇我氏とこの地で戦を行なったとされています。
 
 さて、よろぼしは 別名「俊徳丸」と呼ばれ 高安郡山畑村に住んでいたとされる伝説上の人物ですが、そのお話では 高安の信吉長者の子、俊徳丸は 四天王寺の聖霊会で稚児舞楽を演じることとなり、この舞楽を見た隣村の蔭山長者の娘が俊徳丸に一目惚れし、二人は恋に落ち将来を誓う仲となりますが、我が子を信吉長者の跡継ぎにしたいと願う継母から呪いをかけられ、失明させられてしまったうえに、病気になり家から追い出されて 何とか四天王寺に行き着きますが、物乞いする状態にまで成り果ててしまいます。のちに、蔭山長者やの娘がよろぼし を見つけ出し、四天王寺の観音様に祈願して病気を治します。

  一方、山畑の信吉長者の家は信吉の死後、家運が急に衰退し、最後には蔭山長者の施しを受けなければならなくなったというのが、説経節『しんとく丸』の概要です。

 謡曲『弱法師』、人形浄瑠璃・歌舞伎の『摂州合邦辻』等でも俊徳丸を主人公として 少しずつストーリーが異なるものの 今でも河内音頭として芸能と仏教の声明が長い時間をかけて混ざり合い上演されています。

 現在でも俊徳丸は、亡くなった人の霊の鎮魂歌、現世に回帰した 際の霊魂をもてなす意味として、河内音頭発祥の地・八尾市常光寺の流し節、正調河内音頭で 唄いつがれています。

『よろぼし~手湯と草~』に向けて

  今回の芝居「よろぼし~手湯と草~」は、なかええみの完全オリジナルで俊徳丸の伝説をベースに土の声、草の息を感じる音楽劇です。

 俊徳丸が高安から四天王寺へ通ったとされる道筋は「俊徳道」と呼ばれ、 沿道の広範囲にわたり『俊徳』と冠される施設・旧跡などが点在し、山畑地区に『俊徳丸鏡塚』と呼ばれている塚があり、本来は高安古墳群に含まれる横穴式石室古墳ですが、いつしか俊徳丸の伝説と結びつき、石室入口前には歌舞伎俳優実川延若が寄進した焼香台があります。

  2020年夏至の日に、この地において よろぼしの舞台を実現できる事に 深い縁を感じ「古の色に触れる」の 出演者スタッフ一同 祖霊に対する礼と無事故・大成功で 終えられますよう祈りを込め当日を迎えていきたいと思っております。

『よろぼし〜手湯と草〜』

作・演出:なかええみ

出演:なかええみ
音楽:どんちゃか村(はる&すみ)

舞台美術:小渕裕
リモート出演:日髙恵梨子
衣装染め:小渕裕
衣装協力:あるでばらん 中村ふみ

笛指導:中村香奈子
広報英訳:矢野間朋子

衣装スタイル:Sybs Style(よもぎの女担当)

企画:大和絵奈
協力:茶吉庵 萩原浩司 村上典子 

Special_Thanks: 岩田京子 小島香菜子 大浜悦子

上演:令和2年6月21日(日)
時間:16時開演

上演時間 約60分


>>>なかええみ プロフィールはこちら
>>>なかええみHPこちら

(ものがたり)
「よろぼし」は目が見えない。目が見えなくとも、手で草を見つけ人の心を見ている。

 「ゆたりのらりとされてください。」と労わるよろぼしの元に子ども、貧しい農民など、市井の人がやってくる。よろぼし は草を渡す。その土地の草。誰でも手にすることができる道端の草。


なぜ、よろぼしは目が見えなくなったのか?

幼い時、よろぼしの父が他言によってよろぼしを捨てた。
よろぼしは、その悲しみや苦しさ、世間の戯言から遠ざかるために「見ないことにした」。

しかし、ある高僧との出会いから、草を知り、「草木や虫、生きとし生けるもの全てに仏がある」と教えを受け、光を失いながらも信仰を求め生きている。

そのよろぼしのところに、癇癪を抱えたけん坊と母がやってくる。母は絶えずイライラとし怒りを抱えている。
草を求めながらも、けん坊の心の行方には関心がなく、自分の苦痛を訴えているかのようである。

また、おずし(イジメ)を受けている女子もやってくる。
よろぼしはおずしに気づくが「見ないふり」「気づかないふり」をする。

しかし、よろぼし自身、心の中で葛藤をしている。

「草やめようか、、悲しみが近寄ってくる」。

夏至の日。よろぼしは悲しみを抱えながらも四天王寺に日想観(夕日を拝む修行)に向かう。
そこで、土地の権力者の父に出会う。
互いに他人だと思いながら、共に夕陽を拝む。

よろぼしは父の横で幼い時を思い出す。
高揚し、よろっとよろけて転んでしまう。

父は咄嗟に手を出し、よろぼしを起こしあげる。
その時、よろぼしは手の感触で「父だ」と気がつく。
父もこのよろぼしが我が子と気づく。しかし、踵を返しいなくなる。

よろぼしは、隠していた自らの中にある「醜さ」「怒り」を感じる。

そこへ、けん坊の母がやってくる。

母はまたもや「草が効かない」と訴える。
よろぼしは「草は命である。効かないのは、(命に背く生き方をしている)あなたのせいだ」という。

そして、「あなたを見ていると自分の中の「愚かさ」「醜さ」を見てしまうから出て行ってくれと叫ぶ。

そこに、けん坊がいた。
人の争いや「醜さ」を見せたくなかったけん坊に、嘘をついている自分の姿を見せてしまう。
よろぼしは、愕然とし「お前をおらと同じ目に合わせるなんて!」と泣く。

よろぼしは決意する。
もう「見ないふりはしない」

そして、自らに問う。
見たものを放っておくのか?
悲しみを放っておくのか?

誰の悲しみもなくせず、おずしを無くせなくても「自分の目で見続ける」と誓う。

目を開けるよろぼし 。
「不思議だ 明るく見える」
「不思議だ 眩しく見える」といい、


「みんな 見てくれ」と呼びかける。

■よろぼし衣装

 よろぼしの衣装は染色家でアーティストの小渕裕さんが研究の末、作り出した色「夕焼け染」で染めた衣装。

 「夕焼け染」

  生駒山から流れ込む雨水が地底に溜まった地下300メートルの水の層とともに育まれた天然ベンガラの黄土とその黄土を900℃で焼いて作った赤土で染める。

  古代からつづく色つくりの手法を使った染め。

今回のよろぼしに小渕さん、大和絵奈さんが染めてくださいました。
大変貴重な衣装でよろぼしの演目を上演させていただきます。



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